2016
2
Feb

アメリカ、 個人的な話

フォトグラファーとしての原点①

S-IMG_3129

 

写真の世界は非常に奥が深いものだと感じています。
写真を撮ることは、誰にでもできます。
シャッターを押せばいいのです。

しかし、自分が撮ったものが、何か平凡でつまらない、

どうしたらうまく撮れるのだろうと思ったことはありませんか?

 

私も写真を始めてから5年間くらいはそう思っていました。

20のときに初めて一眼レフカメラを買って、趣味で写真を始めたのですが、カメラは旅行にいったときに使うくらいで、特にこれといって撮りたいものもなく、自分が撮ったものをみても何も心が動きませんでした。
まさか将来写真のプロになるなんて、想像もしてなかったわけです。

 

ただし、大学4年生の時に転機が訪れました。私は大学ではジャーナリズム専攻だったのですが、英語での授業がつらいということもあり、写真を撮ることが中心にであるフォトジャーナリズムというコースに進んでいました。

 

そのコースの先生は、アメリカの全国誌とも契約して写真を載せている現役のプロで、非常に厳しい先生でした。すぐにプロとして働けるよう、災害の報道写真を撮る場合は、どのような写真を撮るべきかを細かく指導してくれていたのです。


災害=人の絶望した姿、というのが一般的な見方です。
そして、それが人々の関心をあおり、雑誌を売らせるのです。

プロの方にお会いすることがあったときも、高速道路で事故があったようだと興奮して飛んでいきました。

それが、編集者から求められるものであるのはわかっています。でも、まだ学生であった私は、そうしたジャーナリズムの在り方に疑問を抱いていました。

 

その頃から私は絶対に「自分が撮りたいものを撮りたい、撮るべきだ」と思っていました。

それにはある人の影響がありました。その人も写真家で、私のおじいちゃんでした。

 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加