2016
2
Feb

アメリカ、 個人的な話

フォトグラファーとしての原点②

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私のおじいちゃんは、私が10歳のときになくなっていますが、「富士の六平」と呼ばれる富士山専門の写真家でした。84歳で死ぬまで現役で、毎年お弟子さんを連れては冬の富士山に登って写真を撮っていました。

 

アメリカにいってしばらくすると、おばああちゃんもなくなり、おじいちゃんの家のものを娘である私の母やその兄妹が片付け始めました。おじいちゃんの部屋のたんすには、びっしりと何千枚というこういっ富士山をはじめて美しい日本の風景を撮影したポジティブフィルムが整理されてはいっていました。

 

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私の親戚で芸術を志した人はおりません。写真をやっているのは私くらいのものでした。私はこのままではこれらの美しい作品が捨てられてしまうと、必死に良いものを探して自分のところに保管していました。そうして、おじいちゃんの何十年もの積み重ねによる、「作品」の現物をみるだけでなく、こうしたものを通して手に触れて感じることができたのです。

 

そのころ、私はカメラのファインダーをのぞくときに、自然と心の中で、おじいちゃんに話しかけていました。「私が撮るべきものはなんでしょうか?」と。

そして心の中の声に耳を澄ませました。
「撮るべきか」「撮らないべきか」今、何か撮るべきものはないだろうか?
そうしてファインダー越しに向こう側の世界を、テレビでも観るように息をつめて見つめるようにしていました。

 

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